10年後のラン界、ランはどうなっている?
  20年後は?
  50年後・・・は?

 
 若し、このままラン菌削除のコンポスト現在行なわれている栽培法でこの先も行われたら、
 ラン界は発展隆盛どころか衰微するだろう。
 そして、日本の山からほとんどランは姿を消しているだろう。
 世界中を探しても・・・珍奇で美しいランはどこにもない。
 そういうことになっていると予測される。


 なぜなら、水ゴケ栽培に約200年進歩無かった。
 ならば・・・これから先も・・・ないということである。
 ランは菌根植物である。
 この原理原則を無視した栽培には、必ずどこかに無理がある。
 技術では解決出来ない場面が出てくるからである。

 今の栽培を続ける限り、これ以上の作が期待できないということである。
 人間から見て都合のよいラン栽培。
 これまでのラン栽培はそういう栽培法であった。
巷には使い捨てのランが出回る。
 蘭展会場でも叩き売りされる。

人間とは残酷な動物である。
愛好とは残酷なものである。

使い捨ては「小泉チルドレン」のみでない。
ランの話である。

もてはやし、やがてカネにならなくなると使い捨て。
植物の世界もそう言う時代になった。

だが・・・多くの人がランを・・・何年も咲かないのに捨てない人も・・・ものすごく多い。
珍奇なものを求めるラン会の人達のことではない。

これまでの栽培法は、全て人間の目線から書かれてきた。
その見方が本当に正しくランを見てきたのか。
SUGOI-neで植えてみると・・・全くこれまでと違った姿を見せる。
これまでの栽培法は????・・・という疑念が出てきた。
なぜ、こういうことが起こったのか。
ラン科植物はラン菌と共生する「菌根植物」ということが削除されたことである。
ラン菌のことは、ラン作りなら基本知識として誰でも知っているランの常識である。
しかし、栽培現場では、この基本常識が削除されてきた。
多くの人が自生地に足を運ぶが、ラン菌のことなど眼中になかった。
珍奇、変種を渉猟する目線である。
原種ビジネス。
ランにとってこれほど過酷なことはない。
ランは言葉を話さない。
ラン菌のいないコンポストで植えられる。
使い捨てのランビジネスの根源に、このラン菌削除の栽培がある。
長生きできない。
これが・・・ランのビジネスモデルの根底にある。
枯れてもらわないと商売にならない。


そういうことで、植物の中で最も生育の遅いランの栽培にも、
商売のモデルが導入されることになる。
より短時間で製品へ・・・。
ビジネスはスピードが大切である・・・・。
一方で、こういうランの姿を嫌う人達は、原種山掘り株崇拝者になる。
この原理主義は一見素晴らしく正しいように見えるが、
この思想???の中にもランは菌根植物という根本が欠如している。
ラン菌のことなど眼中に無かった。

その良い例が、山から掘ってくるが、ランの自生地を再生できない。
コウノトリ、トキの再生をみれば、一度絶種したものの再生がいかに困難なことか。
そういうことである。


SUGOI-ne。
このラン菌による炭素循環ラン栽培法は、
ランの立場から考え構築した自生地再現栽培法である。
これまで、誰もしなかったプロトコームに焦点を当て、そこから導き出した栽培法である。
なぜこういうことを考えるに至ったかといえば、
他の植物とラン科植物の最も異なる所は、
発芽時におけるラン菌との共生であり、プロトコームという形態を必ず経過するということである。
胚乳を捨て去った種子が、なぜプロトコームをいう形態をするようになったか。
そのステージ時代の生活エネルギーはどこから調達しているのか。
このもっとも根源的なところから構築した栽培法である。
植物は、どんな巨木だろうが、ランの大株だろうが、スタートは一個の種子からである。

プロトコームの立場に立ったラン栽培。
プロトコームが生育する栽培法、これが、これからの栽培法である。



  人間から見たラン栽培
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kouza 3r